椋野美智子の研究室にようこそ

椋野美智子の研究室にようこそ。この部屋では、社会保障や地域と福祉について椋野美智子がかかわったこと、考えたことをお伝えしていきます。

2017/10/03

地域の魅力を考える~地域づくりと移住、大学、政策~

5月20日に大分市のホルトホールで社会政策関連学会協議会主催の「地域の魅力を考える-仕事と暮らしを支える社会政策とは―」というシンポジウムがありました。そこで指定討論者として、発表した内容を紹介します。

大分県の地域としての特徴

大分県の人口は約116万人、おおむね日本全体の人口の1%です。65歳以上人口は31.2%、75歳以上は16.2%、全国に比較して高齢化が進んでいます。
地形は山がちです。そのせいか江戸時代末期は7藩8領にも分かれていました。市町村数も、今は18ですが、平成の大合併の前は58に分かれていました。
その特徴は、産業にも影響しています。第1次産業では1961年に「梅栗植えてハワイに行こう」のキャッチフレーズで、米から果樹への転換を打ち出した大山農協が有名です。その取り組みは後に「一村一品運動」として海外にも広がりました。漁業ではご存知の「関アジ、関サバ」もあります。
第2次産業では、1964年に始まった大分市の臨海工業地帯が「新産都の優等生」と称され、今でも世界最大の溶鉱炉を持つ新日鉄住金などの工場が元気に稼働しています。
第3次産業では、特に近年「おんせん県おおいた」のキャッチコピーで観光地としての知名度を上げています。

大分大学福祉科学研究センターでの地域研究

私が2008年から2015年まで在任した大分大学福祉科学研究センターでは、①福祉と他分野との連携、②福祉に関する地域との連携の2本の柱を掲げて研究を進めてきました。
他分野との連携としては、福祉と医療はもちろんのこと、福祉と農業、福祉と建築、福祉とアートなどの研究を進めてきました。地域との連携では、高齢化が進む郊外住宅団地、中心市街地、農村地域で調査研究と実践を行いました。地域コミュニティは人と出会うことから始まるとの考えから、朝市やコミュニティカフェ、移動支援などの実践にも地域の人たちと一緒に取り組んできました。http://www.hwrc.oita-u.ac.jp/publication/index.html#p-01
私は、退職後も大分大学の客員研究員として地域研究を続けており、今回のシンポジウムでは、そのなかから3つの事例を紹介しました。

国東市の住民の地域支え合い事業




国東市の住民による地域支え合い事業についてはこのブログでも何度か紹介してきました。上国崎と竹田津の2地区で住民ボランティアによるカフェと移動支援が始まっています。
「地域の支えあいをどうつくるかー国東市のくらしを考える勉強会」
「介護保険を活用して地域に移動支援を―その2」
2016年1月から先進地視察、勉強会等を重ねて1年後の2017年1月に、住民ボランティアによる月12回のカフェと月2回の送迎付き食事会の実施が始まりました。市も4月から介護保険の一般介護予防事業として助成しています。
5~6月にかけてほぼ毎週、全7回の勉強会に両地区とも50名前後の住民が参加し、カフェなどの活動への参加者も増加しています。この成功の背景には、センスとフットワークのいい社会福祉協議会の職員、住民の信頼が厚いまとめ役がいたこともありますが、何より住民の間に強い危機意識があったこが挙げられます。国東市は人口28,215人 65歳以上が41.2%、 75歳以上が24.2%です。上国崎地区は人口510人、65歳以上が53.9%で、2000年からの10年間で人口が20%以上減少しています。竹田津地区は人口1,050人 65歳以上が51.5%で、2000年からの10年間で人口が10%以上減少しています。


10年後の地域を支えるのは誰?

私はカフェを訪れた時に60歳代と思えるボランティアの女性から言われた言葉が忘れられません。「今は私たちが支えます。10年後の私たちを誰が支えてくれるのでしょうか」
その答えはたぶん若い世代の移住・定着を進めることにあるのでしょう。
上国崎の地域の方から学生と交流したいとのご提案をいただき、大分大学の都市計画研究室をご紹介したことがありました。学生たちが1泊2日で調査に訪れ、地域の方に振興策の提案をしました。送迎のバス、宿泊、食事まで本当にお世話になり、学生たちは田舎のおじいちゃん、おばあちゃんとのように交流を楽しんでいました。別れ際に涙ぐんでいた学生もいたようです。
その時の学生の提案の中に「この地域の魅力は人、短期滞在で知ってもらって移住につなげる」というものがありました。地域の魅力が自然よりも食べ物よりも「人」にあること、そして地域の振興も「人」に移住してもらうことにあること、若いセンスは何より「人」が大切なことを見抜いていました。


もちろん、移住者へのまなざしは必ずしも最初から暖かいわけではありません。別の地区ですが、こんな声を聞きました。
「隣の空き家に若い人が越してきたが、どんな人か不安だった。地域の寄合ではもっぱらその話でもちきり。そのうち、その人が耕作放棄地にオリーブを植え始めた。入院した近所の人の犬を散歩させていた。 耕作放棄地は見慣れた風景になっていたし、入院したことも犬がいたことも知っていたが犬の散歩まで思いが及ばなかった。移住者への見方が変わった。オリーブの世話を手伝う住民も出てきた。」
移住は一朝一夕には進みません。でも、少しずつがいいのです。そして、10年後の地域はきっと移住者に支えられていることでしょう。その移住者が惹かれるのは、今の地域を支える住民たちです。



竹田市の移住政策



「人」に着目して移住による地域振興を積極的に進めているのが竹田市です。人口21,850人、65歳以上が40.1 %、全国市中 5 位です。75歳以上は25.22 %、これは 全国市中 1位です。5年ごとにおよそ2000人の人口が減少しています。危機感を背景に竹田市は、2009年に全国初の農村回帰宣言市を標榜して移住定住に力を入れてきました。2010年には農村回帰推進室を設置し、専任の移住定住担当職員を置きました。手厚い移住支援はまず慎重なマッチングから始まります。移住前に何度も来てもらい地域の人に引き合わせ、移住後も24時間365日のサポート体制を組んでいます。専任の担当職員のほかに、農村回帰マネージャーが常駐し、更に集落ごとの支援員もいます。また、創業支援などの金銭補助も行っています。廃校などの用途を廃止した公共施設を移住者の拠点として活用しており、空き家バンクの物件数も200軒以上、利用希望登録者は1000人以上に上るそうです。
廃校を利用したインキュベーション型貸工房



2010年から2016年までに250人が移住し、半数以上が20歳代、30歳代の若手です。地域おこし協力員も4期合計46名で、全国最多規模です。 
竹田市は工場を誘致するような広い土地のない盆地です。「企業誘致」ではなく「起業誘致」で、仕事をつくれる人(工芸家や起業家)に来てもらうという明確な政策意図をもって移住支援を進めています。今ではキーパーソンが人を呼び寄せ仕事を呼び寄せ、移住が進んでいるといいます。

別府市のアートによる地域振興

別府市のアートによる地域振興は、NPO法人BEPPU PROJECTがけん引してきました。代表的な事業としては、2009年、2012年、2015年の3回にわたり開催された別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」、2008年度から2016年度まで続けられた空き店舗を改修した中心市街地回遊拠点Platform の運営、2010年から続けられている市民文化祭「ベップアートマンス」などがあります。「混浴温泉世界2009」の舞台となった清島アパートはその後アーティストが住み着き、アーティストの移住拠点として運営されています。
BEPPU PROJECTのホームページから

Platform事業には、大分大学も参画して、築100年の長屋の耐震改修構造計算をしたり、Platformの一つでコミュニティカフェ運営を行ったりしました。Platformも清島アパートも、私が大分大学やNPO法人別府八湯トラストで行った空き店舗調査、空き家調査の中から生まれたものでした。このブログで紹介した浜脇の長屋もそうした取り組みの一つといえます。
http://mukuno-michiko.blogspot.jp/2017/04/blog-post.html
アートの動きは若い観光客を惹きつけるだけではありません。BEPPU PROJECTに公募採用されて移住してきたスタッフが、辞めた後もまちに定住して起業する例も見られます。
このように、別府市のアートによる地域振興は、賑わいづくりと観光客誘致にとどまらず、古いもの、使えないものと思われていた空き店舗や空き家に新たな価値を生み、新たな人が地域に入ってくることにつながりました。若い人、外の人の新たな目が地域を評価したことは、地元の人や高齢者に驚きを与え、異なる見方に気づくことにもなりました。そして、人々の間に新たなつながりも生まれてきました。


論点提起


シンポジウムでは、林玲子さんによる「少子高齢人口減少社会における地域移動の変化―九州の特徴」、阿部誠さんによる「地域の人材養成と大学―その機能と限界」、葛西リサさんによる「母子世帯移住支援事業―地方型シェアハウスの取組み―居住福祉学の視点から」、図司直也さんによる「農山村における地域づくりの主体形成と地域サポート人材の役割」の4つの報告が行われました。それらと私が紹介した3つの事例から、私は3つの論点を提起しました。

地域づくりと移住支援

地域づくりに移住者が必要とされていることは、私の報告した3つの事例全てから見えてきます。シンポジウムのなかで図司さんも、外部人材と地域住民の関わりが「交流」から「協働」へ、更に「移住」へとステージを重ね上げてきていることを指摘していました。そのためにはどういう支援が必要なのでしょうか。
葛西さんは、浜田市の母子世帯向け地方移住支援事業について、女性人口と子どもの数を増やし高齢者のケア問題を一気に解消できる可能性があり、都市部でのひとり親の貧困問題も解決できると、国からも高く評価され、メディアでも取り上げられていると報告しました。しかし、「一過性の支援のみで、定住率が高まるか?支援が切れた後の生活課題への策はあるか?」と課題を投げかけています。
移住の成功には、国東市で学生たちが「この地域の魅力は人」と言ったように、もとからの住民と移住者が「支えながら支えられる 支えられながら支える」関係づくりが、住宅提供や金銭援助にもまして重要なのではないでしょうか。そのためには、竹田市で展開されているような丁寧なマッチングとつなぎ役が必要です。それは、移住者を数でみる視点とは対極の、一人ひとりに寄り添う視点です。
もちろん、支え合いは旧住民と移住者の間だけではありません。竹田市で「キーパーソンが人を呼び寄せ仕事を呼び寄せる」といわれているような、移住者同士の支え合いを支援することも重要です。
移住支援にはそういう視点、住民と移住者の間の、移住者同士の、さまざまに重なり合う支え合いの地域づくりが求められているのです。

地域づくりと大学の役割


シンポジウムでは、「地方圏」における大学の役割についても議論されました。
阿部さんの報告によれば、文部科学省は、地方圏の大学の機能を地域の人材育成へ特化し、「地域が求める人材像と修得すべき能力を具体的かつ明確に目標設定」することを求めているようです。
改めて考えると、大学が「地方圏」にあることは、そこの住民や企業にとっては、①地元で大学に進学できる ②若い人が一定数、地域内に存在する ③他地域出身の者が転入する ④卒業生の中から定住する者がいる ⑤協働できる研究者が地元にいるなどのメリットがあります。
一方、「大都市」だけでなく「地方圏」に大学があることは、「大都市」の住民にとっても、①大学選択の幅を広げる ②都市部出身の者が「地方圏」の生活を体験できるなどのメリットがあります。
医師や教員などについては地域の人材養成の期待に応える必要も確かにあるでしょう。しかし、文部科学省が進めているように地元の求める人材養成に特化した大学が学生にとって魅力的かどうかは疑問です。また、地域の今の産業構造に合わせた人材だけでなく、求められているのは新たな仕事をつくれる人材であり、それは修得すべき能力を具体的かつ明確に目標設定できるようなものではないでしょう。人材の多様性こそが「地方」活性化に求められており、外国も含めた多様な地域出身の多様な文化背景を持つ若い人たちが共に学ぶことの重要性を軽視してはならないだろうと思います。

地域づくりと政策

それでは地域づくりにはどんな政策が求められるのでしょうか。
社会保障では1980年代から地域重視の流れが続いています。
「社会保障と地域」http://mukuno-michiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post.html
制度運営主体としての地方公共団体への地方分権、サービス整備圏域に着目した地域計画に次いで、近年は相互支援のための地域社会づくりが重視されてきています。例えば、2015年に介護保険の地域支援事業に創設された新総合事業や同年に始まった生活困窮者自立支援制度もこの流れにあります。
ここでは、コミュニティの側に立って制度を見回す視点が重要になってきます。制度を地域に当てはめるのではなく、地域に合わせて制度を使いこなすのです。その場合の制度は社会保障には限りません。交通政策であったり、地域振興政策であったり、文化政策であったり。大分大学福祉科学研究センターで取り組んできた福祉と他分野との連携研究はこの視点に立つものです。
一方、政策の側には何が求められるのでしょうか。それは、制度で詳細をつくりこむのではなく、現場の裁量に委ねる自由度の高い支援であり、それを可能とするような支援政策の包括化・総合化です。
同時に、モノやコトだけではなく地域づくりに取り組むヒトに対する支援です。制度に縛られて動くのではなく、軽やかにタテ割りを乗り越えて動ける人。地域おこし協力隊や介護保険制度の生活支援コーディネータ―などがこの例として挙げられます。もちろんあつてあったような単なる人件費補助にならないようにするには、効果を生むための人材育成が前提です
これまで、福祉政策とソーシャルワークの研究は別々に行われてきました。しかし、政策を機能させるソーシャルワークと、ソーシャルワークを機能させる政策づくりが求められている今、研究においても両者の融合・連携を進めていかなければならないことを参加の研究者の方々に訴えて、私の指定討論を終えました